私たちの歩み

OUR HISTORY

命をつなぎ守る医薬品を迅速に届け、
地域社会に貢献するという軸からぶれることなく進化・発展してきました

昭和23年、宮城県登米市で合資会社鈴彦商店として創業。

株式会社鈴彦、サンエス株式会社を経て、現在の株式会社バイタルネットへと進化発展を遂げています。70年以上にわたり「ひとびとの健康に奉仕し、健全な社会の育成に貢献する」企業理念のもと、東北6県・新潟において確固たる基盤と高いシェアと信頼を確立しています。

会社のあゆみ(沿革)


昭和23年 鈴彦商店創業

株式会社バイタルネットの前身は、初代鈴木彦治が明治42年頃より創業した「鈴彦商店」です。大正時代の後期、二代目鈴木彦治が24歳の時に金華山に詣でた際に、星製薬の外交員と出会ったことが医薬品卸事業につながります。この翌年、星製薬と提携し、薬品及び食料品の卸を兼ねて商いを行ってきましたが、戦争中の昭和20年に突然の病で急逝しました。

終戦後、復員した20歳の三代目鈴木彦治が経営を引継ぎました。「ワクチンさえあれば父を亡くさなかったかもしれない」という思いは、バイタルネットの365日24時間いつでも必要なところに迅速に医薬品を届けるという会社の使命に脈々と引き継がれています。

昭和23年、合資会社鈴彦商店として家内事業から企業への第一歩を踏み出しました。当時は医薬品卸販売事業と醸造部門があり、醸造部門は昭和35年に分離しヤマカノ醸造株式会社となりました。

創業者 三代目 鈴木彦治
白壁土蔵づくりの鈴彦商店(宮城県登米市)
※現在はヤマカノ醸造株式会社
鈴彦商店初荷風景(登米)
オートバイ勢ぞろい(昭和30年代)
鈴彦本社仙台店(仙台市青葉区)

伝書鳩で注文書を

創業当時から変わらない課題の一つ。それは「いかに早く医薬品を運ぶか」です。ことに電話が普及していなかった昭和30年頃までの大きな悩みは配達のスピードでした。そこで考えられたのは、伝書鳩を飛ばして注文書を会社に届ける方法でした。実際に3羽の鳩を飼って真剣に訓練したのですが、途中でタカなどに襲われる可能性もあることから断念しました。

今では笑い話かもしれませんが、それほどスピードにこだわってきたことがおわかりいただけるのではないでしょうか。

昭和45年 名取物流センター竣工

昭和37年、当時の社長鈴木彦治は初の欧米視察旅行に出向きました。その後も社長だけでなく専務や常務らが海外視察を行い、先進的な海外の医薬品流通業界に学びました。昭和45年、宮城県名取市にアメリカのMcPIKE社を手本とした物流センターを竣工。本格的な車社会の到来を見越した14,000坪の広大な敷地に、当時としては先進的なコンピューターによる受注システムを導入するなど、視察で得た知識を存分に生かした物流センターとなりました。

つねに時代の変化を見据えながら進取・先駆けの精神で発展してきました。その精神は、他社が自転車で営業しているときにはオートバイを利用し、他社がオートバイにすると自動車に切り替えるといったエピソードからもうかがえます。

名取物流センター(昭和40年代)
当時は最先端のコンベアーライン
ずらりと並ぶ鈴彦の配送車

昭和45年 時代の先取りコンピューターを導入

昭和45年、NEC製コンピューターNEAC M-150を導入しました。当時、医薬品卸では3番目、東北の流通業では最も早い導入でした。昭和53年にはオンラインシステムに移行。昭和57年には、全営業店・本社を結ぶオンラインが開通し、在庫・実績が即時処理されるようになりました。

コンピューターを導入
オーダーコントロール
CRT

昭和58年 サンエスの誕生

昭和58年、村研薬品株式会社(盛岡市)、朝日薬品株式会社(山形市)と合併し、サンエス株式会社としてスタートしました。

「サンエス」を象徴するのは3つのSです。

  • SERVICE(奉仕)
  • SINCERITY(誠実・真実・誠)
  • STUDY(研究・管理)
3社合併を記念した社員大会

平成7年 医薬品卸初の東証一部上場

平成3年11月の店頭登録、平成5年8月の東証二部上場につづき、平成7年には医薬品卸として初の東京証券取引所市場第一部に上場しました。全社一丸となって大きな目標を達成できた瞬間でした。会社の社会的信用を得るとともに社会に対しての責任もこれまで以上に重くなりました。

※現在は親会社のバイタルケーエスケー・ホールディングスが上場

平成13年 バイタルネットへ進化統合

医薬品流通や取引慣行の変革期に対応するため「進化統合」をスローガンに、平成12年5月23日、新潟県上越市の三栄薬品株式会社および新潟市の株式会社ニチエーとの間で合併契約書が締結されました。翌13年1月、三社が合併し「株式会社バイタルネット」が誕生、全国ランク第6位、東北・新潟市場でトップシェアとなりました。また、1972年に発足したニチエー硬式野球部は、合併を機に「バイタルネット硬式野球部」となりました。

平成17年3月には、同業のほくやく(札幌市)、鍋林(松本市)、東邦薬品(東京都)、中北薬品(名古屋市)、ケーエスケー(大阪市)、アステム(大分市)と業務提携を締結しともに新しい地域密着の方法を追求しています。

平成26年7月には「ひかり薬局」を擁する株式会社オオノがグループ会社となり、これまで展開してきた「ヘルスマート薬局」や「けやき薬局」をはじめとする調剤薬局事業が強化されました。

現在は4つの物流センターと54の営業拠点、7つのグループ会社で地域の医療とヘルスケアをつないでいます。

三社が合併し「株式会社バイタルネット」が誕生

平成21年 「バイタルケーエスケー・ホールディングス」設立

平成21年4月1日、バイタルネットとケーエスケー(大阪市)が株式を移転して共同持株会社「バイタルケーエスケー・ホールディングス」を設立しました。新会社は医薬品総合商社として、東北・関東・北信越・関西地方を中心にカバーしており、グループ全体の連携によるシナジーを発揮させ事業基盤の強化を図っています。

また、プライム市場上場企業(証券コード:3151)として株主をはじめとするステークホルダーの皆さまに対して社会的な責任を果たすとともにグループ全体の価値向上を目指しています。

バイタルケーエスケー・ホールディングス


※株式会社ファイネスは持分法適用会社
 

東日本大震災の経験を活かし「宮城物流センター」竣工

2011年3月11日金曜日、東日本大震災が発生しました。地震発生時、仙台市にある本社では全社幹部会議が行われていました。すぐさま災害対策本部が立ち上げられ、被災地の状況の把握に努めるとともに、医薬品の流通を止めないための様々な対策を講じることが求められました。道路が寸断され、従業員も被災し、ガソリンをはじめとする物資が不足する中で、一軒一軒足で得意先を訪問するしかない時期もありました。

またバイタルネットでは沿岸にある支店が津波で水害にあい、地震による多大な被害がありました。さらに、福島県原町市にある原町支店では原子力発電所の爆発による避難指示により、事業所を名取市に一時移転し営業活動を行うことを余儀なくされました。

わたしたちの使命

このような震災の経験を活かし、2015年3月に「宮城物流センター」を竣工しました。宮城県大和町にある宮城物流センターは、強固な岩盤の上に官公庁レベルの耐震建築となっており、災害で停電時にも商品を供給できるようあえて自動マテハン機器を使用せず、災害時にセンター2階部分にトラックが直接出入りできる「デュアルトラックバース」を採用しています。また、隣接地に緊急用ヘリポートを設置しており、非常時には災害協定を締結している陸上自衛隊と協力しながら空路での輸送も可能となっています。

創業70周年を迎えて

2020年バイタルネットは創業70周年を迎えました。登米市にある醸造会社からはじまり東北6県・新潟・栃木・首都圏まで営業エリアを拡大してまいりました。事業内容も一般用・医療用医薬品の卸売ではなく、医療機器、システム機器、ソリューション、介護、レンタル事業など多岐にわたっており、医療機関におけるニーズに応えられる企業となりました。

そして2022年7月、仙台市青葉区にある本社ビルを建て替え、迅速な意思決定を行うべく本社機能を集約しました。私たちはこれからも「ひとびとの健康に奉仕し、健全な社会の育成に貢献する」企業理念のもと、地域の皆さまのために尽力してまいります。

本社ビル